高天ヶ原山、大蛇倉山 大蛇倉山
群馬県上野村、長野県南相木村 高天ヶ原山(1,979m) 、大蛇倉山(1,962m)
【登山日】 2006年10月21日
【登山コース】
昇魂之碑登山口[8:08]→[8:33]昇魂之碑[8:52]→稜線分岐[9:34]→[10:12]高天ヶ原山[10:50]→日航の頭[12:08]→[12:29]大蛇倉山[13:05]→稜線分岐[13:54]→→登山口[14:56]
就職をしたばかりの頃、私の勤務先は藤岡市内にあった。お盆休みを終えて、仕事に出かけると藤岡市内の様子は異様であった。市内を走る車は、日航のチャーターしたタクシーとマスコミ関係の車両がほとんどであった。市内の体育館は、遺体の安置所や身元確認の会場となっていた。こんな体験が強烈にあったせいか上野村の山にはたくさん登ってきたがあの御巣鷹の尾根にはなかなか登ろうとは思わなかった。しかし、もう20年を過ぎ、因縁もあることから慰霊を兼ねて登山してきた。
登山口 昇魂之碑 湯ノ沢トンネルを抜けて、初めて昇魂之碑に向けダムの道を走った。登山口には立派な駐車場があり、その上、駐車場には警備員らしい人がいた。車を停めて支度をしていると警備の人から登山をする人は下の駐車場に停めるように指示を受けた。この時期は季節もいいので、慰霊のために訪れる方が多いのだそうだ。周りの山々はカラマツが紅葉し、黄金色である。登り始めは沢沿いを進む。最初から傾斜はきつく、最後には胸をつくような斜面を登る。昇魂之碑のある中心部には、ベンチも用意され、事故の遺物などが展示された小屋もあった。これらを見た後に、手を合わせ慰霊した。
稜線分岐 高天ヶ原山 昇魂之碑からは稜線に沿って登り、慰霊の石碑等が途絶えた辺りでカラマツの木に、『高天ヶ原山、大蛇倉山登山口→』の看板がある。ここから踏み跡ははっきりして道に迷うことはないのだが木々が茂っており、人が通るスペースが丸く開いている程度である。斜面は昇魂之碑まで以上に傾斜がきつく、かつての事故のとき活動に参加された方たちの苦労が偲ばれる。1時間弱上ると稜線の分岐に到着する。ここには『60年日航機遭難地慰霊登山道』と縦に記された当時の分岐標がある。その手前の木には最近のものらしい『←高天ヶ原山、大蛇倉山→』という案内板もあった。まずは高天ヶ原山を目指して左の稜線に進んだ。あまりアップダウンのない稜線を進むと景色が開けたところで高天ヶ原山に着いた。
金峰山 ダム湖 山頂からは、霞んでいたが金峰山が大きく見えた。ここで一休みをしていると三国峠方面から登山者が現れた。話をすると三国峠から登られたとのことであった。三国峠方面の道について聞くと少し藪は深いが大丈夫とのことであった。この方と別れた後、三国山まで行こうかとそちらに進んだが丈が2メートルぐらいの笹藪で、その上乾いているせいでホコリと枯れた笹の葉が鼻や口に入り閉口したので諦めて戻った。高天ヶ原山から少し北に行った辺りに見晴らしのいい岩があり、そこからは長野県側にダム湖が見えた。ここから稜線の分岐に戻り、大蛇倉山に向かったが、少し道に迷い時間をくってしまった。本道に戻り、稜線を進むと木に日航の頭という標識があった。さらに進むと大蛇倉山に到着した。この辺りで天候は悪くなり、ガスに覆われて周りの景色は見えなくなった。ここでゆっくりと遅い昼食とった。
カラマツ林の登山道 日航の頭 大蛇倉山からはガスが巻いてきたこともあり、慎重に稜線分岐に戻った。後は急な斜面を降りて昇魂之碑に出た。もう慰霊に来た方もほとんどが引揚げ静かだった。ガスは山の上のほうに巻いているだけでここでは青空が見えた。さらにここから駐車場まで下った。駐車場の車もほとんどなかった。この登山と慰霊で20年以上前の記憶がいろいろと蘇ってきた。
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