庚申山 |
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栃木県日光市 標高 1,892m |
【登山日】 2002年 8月31日 |
【登山コース】
ゲート前[7:33]→一の鳥居[8:26]→旧猿田彦神社跡[9:33]→庚申山荘[9:42]→庚申山[10:55]→[11:03]展望台[11:36]→お山巡り分岐[12:03]→めがね岩、蟻の戸渡り[12:30]→嶺峯山荘[13:10]→ゲート前[14:40] |
ちょっと怖いが庚申山のお山廻りをしようと思い、少し暑いが出かけることにした。またも寝坊してしまい出発が遅れてしまった。5時の予定が5時半に家を出た。頭が寝ていたのかいつもなら赤城南面道路を通るのだが、大胡渋川線を行ってしまい余計に時間をくってしまった。どうも朝から調子が悪い。
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林道のゲート脇に車を駐車して、林道を歩き始めた。どうも林道歩きは好きではない。林道の舗装が終わり、バラスの道になる。歩いていると後から音もなく自転車で追い越していく人がいた。林道途中にはなぜか車が数台駐車していた。また一の鳥居の奥にも6台ぐらい駐車していた。いつも思うが割り切れない気分である。一の鳥居の手前には「天狗の投げ石」という不思議な眺めの場所があった。噴火した溶岩が固まりばらけたのだろうか、しかし、「天狗の投げ石」とは、昔の人はうまいことをいうものだ。一の鳥居付近の庚申公園から登り始め、途中に「夫婦蛙岩」、「鏡岩」、「仁王門」など変わった岩がそれぞれのいわれと共にあった。やがて、旧猿田彦神社の参道跡の敷石の道に出て、旧猿田彦神社跡に着いた。ここからがお山巡りのスタートであるが、庚申山荘を下見して(今度こちらから皇海山に登るときに利用しようと思い)庚申山の頂上を目指す。
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旧庚申山荘跡、ここからいよいよごつごつした妙義のような庚申山への登りである。山頂への登頂兼お山巡りである。結構急なところや岩場、梯子、ロープ、鎖などが連続する。途中には洞窟のようにえぐれたところには祠などがあり庚申信仰を偲ばせる。驚いたことに途中山から下りてきたのは小学生と思われる3人組である前後には親と思われる人もいないようで、3人だけで頂上まで行って来たようである。6:30に出発したというのだがどこから登り始めたのか。(銀山平か)2人は小学校高学年だが1人はどちらかの兄弟のようでどう見ても小学校低学年のようであった。心配になり、心から気をつけて下りなさいと励ますと元気であっけらかんとした声で礼儀正しく「ありがとうございます」といって下りていった。
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登り上げてから、樹林帯のなかを歩き通すと全く見通しのない庚申山頂上に着く。ここでお昼にしようかガイドブックを見ると少し先に展望の良い展望台があると出ているので記念写真だけを撮りそちらに向かう。展望台に着くと単独行の高年のおじさんが一人いた。挨拶を交わし、前を見ると皇海山が大きくに見える。昼食のお湯を沸かす間にまわりを見ると男体山、日光白根山、、鋸山、袈裟丸連峰など天気に恵まれすばらしい眺望である。今日は暑く汗をたくさんかいた。座るとナメクジのように岩が汗で濡れる。昼食を食べているとハエのような虫がうるさい。
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ここまでは登った道と同じ道を戻って来た。ここらあたりに「胎内巡り」があるはずだったが後で見逃してしまったことに気が付いた。鎖、ロープ、鉄の橋などお山巡りらしい道を歩く。慎重に行けば別に危険はないと思うのだが、(危険だと思われるところにはしっかりした鉄の橋が架かっている。)昭文社の地図では危険なためにお山巡り禁止となっている。なぜだろう袈裟丸の八反張りより安全に思うのだが。めがね岩、蟻の戸渡りなどを通ったとき、変なというか無謀なと思われるおじさんに会う。どうやら道に迷ったらしいのだが、来る人に次々に道を尋ねているらしい。(1人聞けば十分だろうに)庚申山から下山して道を間違えお山巡りに入ってしまったようである。ロープを持っているので沢に下りようかと考えたなどと言っていたがかえって危険ではないのか。(こんなはっきりした登山道を行った方が安全でしょうに)それに地図も持たずに山歩きするなんて無謀としか言いようがない。
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お山巡りを楽しみ宇都宮大学の嶺峯山荘脇にでた。その後に庚申七滝を見ていこうと思ったら、台風か何かで橋が流され、通行止めであった。あとは、来たときと同じ林道を延々と歩きゲート前に着いた。たくさん汗をかいたが楽しい山歩きであった。せっかくここまで来たので天気もいいし備前楯山に登ることにする。
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